日本における起業体験 (株)BHY 社長 尹 生花氏
BHYは美(Beauty),健康(Health),若さ(Youth)の頭文字をとったものである.2002年2月にBHYを設立し,「ホリスティックビューティー」をテーマに美容鍼灸サロン,鍼灸療院,およびスクールの運営を事業としている.
中国で東洋医学を修めた後,経営に興味をもち学ぶために来日した.その頃,早稲田大学大学院アジア太平洋研究科の柳孝一教授の著書「起業力をつける」を読み,自身の夢が起業であることに気がついた.そこで同研究科のMBAコースへ入学し,柳ゼミへの配属が適った.在学中は,ケーススタディーや事業計画の作成など起業の基礎となる経験を積み,教授やゼミ生との議論で多いに刺激を受けた.
修士論文の内容は,起業のためのビジネスプランだった.卒業直前にBHYを起業したのだが,その際も教授やゼミ生の支援があった.スタートアップ期は,ビザ取得が困難な課題だった.中国でのビジネス経験がなく,学生として来日したため,入国管理局の審査は厳しかった.しかし,周りの支援のおかげで,無事ビザを取ることができた.当初,施術料についての相場もしらない状態だったが,すぐに売り上げを上げることができた.
事業内容は,まだ日本ではあまり知られていない「ホリスティックビューティー」を扱っており,「人々の心身に美しさ,健康,若さを与える」を企業理念としている.近年は,エステサロンでも「内側からきれいにする」という意識が高いが,健康,美,若さは関連しており,それらを分けて扱ってはいけないと考えている.
BHYで特徴的なのが,肩美矯正である.これはパソコンの普及による肩こり対策需要を見込んだもので,肩幅の矯正を行うものである.肩美矯正は日本ではあまり知られておらず,これまでのところ施術しているのはBHY一社である.エステや鍼灸でのお試し料金の相場は3,000〜5,000円だが,BHYではそれより高めの15,000円に設定している.すべて手作業で行う施術の高い技術力によって,費用対効果のバランスをとっている.肩こりに悩む女性のニーズは高く,価格設定に変更の必要はなかった.
近年,「デトックス」が流行している.BHYでは市場競争の激化を予想し,デトックスとホリスティックビューティーを融合した「デトユニフィェー」(ユニフィェーはフランス語で統合の意)を開発した.同時にダイエットプログラムも開発し,好評を得ている.
またスクールも運営では,施術の効果を実感した顧客が入学し,その後スタッフになるというプロセスが生まれている.現在の従業員のうち半数は,このようにして採用したものである.日本人スタッフとの文化の違いは懸念されたが,本音でぶつかりあえばかえってよい関係になれると信じている.
これからも試行錯誤は続くと思うが,まず今後2年で3〜4店舗を目標に,事業規模を拡大したい.
株式会社BHY
(ページトップへ戻る)
ベトナムからの留学生が立ち上げた日本発グローバルベンチャー
(株)メトラン 代表取締役 トラン・ゴック・フック氏
19歳のときに留学のため来日し,大学卒業後は日本企業を経て起業した.以降,ずっと日本に滞在している.1968年に来日後は,日本語学校と大学を卒業し,研修生として企業に入った.オーナーからは「君はベトナム帰国後に,全て自分でやらなければならないのだ.」と厳しく指導され,材料や組み立ての勉強に熱心に取り組んだ.その後,正社員として採用された.
しかし,ベトナム国内の情勢が悪化し,帰国が難しくなってしまった.将来について剣道の師匠に相談したところ,長年培った人脈を活かし,日本でがんばるようにと励まされた.しばらく企業で開発に従事していたが,多部門で分業する組織構造ゆえに,開発のスピードが遅くなってしまう状況に直面した.
そこで1984年には企業を退職し,医療機器開発メーカーとして(株)メトランを設立した.起業に際しては,自国で両親とも企業を経営していること,起業が人生設計に入っていたことと,そして何より自身が起業に向いていると思っていることが後押しした.
起業後最初に手がけたのは,未熟児向けの人工呼吸器「Humming Bird」である.この製品は,アメリカで行われたコンペティションで優勝したことから,脚光を浴びるようになった.最新の主力機・Humming Vは,医者からの評判も高く,日本で2番目に小さい未熟児(体重312g)の命を救った実績もある.
今振り返ってみてと,理想の技術開発を実現することに本当に夢中であった.開発当初は,資金集めに奔走した.小規模企業だったため融資が受けづらかったが,大手自動車メーカーとの共同開発の機会を得て,製品の主軸となる「Rotary Valve」が完成した.
開発には苦労がつきものであり,試作機を配送した直後に倒れたこともある.ベンチャービジネスは,体力が肝心である.また,運も重要な要素である.自身の場合,起業直後の試作機開発で,近隣の国立病院から協力を得ることができた.この経験を通して,日本では,アイデアがあっても紙上では納得してもらいづらいが,試作機を提示すれば協力が得やすいということが分かった.
現在,未熟児の出生率が高まっているが,日本は人工呼吸器の輸入比率が高く後進国である.これは,日本企業がリスクの高い事業を避ける傾向にあることが原因であると考えられる.リスクを負いながら開発を続けるベンチャーへの支援は,今後の重要課題である.
よくベンチャーはOnly oneでなければいけないといわれるが,私は「Only one to next one」をモットーとしている.現在のOnly one製品である未熟児向け人工呼吸器に加え,Next oneとして,患者,医者,機器の三者関係を考慮した人工呼吸器システムの開発を予定している.また製品開発を5年サイクルと捉え,今後は用途別13機種を開発する.
現在は,アメリカのNo.1人工呼吸器メーカーと共同で企業を設立するなど,国際市場の拡大を進めている.我々の人工呼吸器を使って助かった赤ちゃんの同窓会は,開発へのモチベーションになっている.
株式会社メトラン
(ページトップへ戻る) |